3回目の合宿指導を終えて(3): 雑多なポエム

前回記事はこちら。

合宿で思ったこと記事、最終回です。曲に関する技術記事になる予定だったのが、まあそれはこれの範疇でやらなくてもあとでもできるだろう、ということで、もうちょっとポエムが続きます。

「試験対策的な練習」について

今回行くにあたって練習予定をもらったのですが、合奏の前に合奏対策をして、というところまではまあよくあるのですが、セクション練習*1の対策でパート練習をする、という感じでセクション練習の前と後ろにパート練習をする、という感じの予定が組まれていました。でこれで思ったのは、ここまで「対策」しなきゃいけないものになっていると合奏の場に恐れが出てしまいそうだというのと、試験対策をするかのように場当たり的な練習になってしまうのではないか、と。個人的にはもったいないことこのうえないです。単純に練習時間が多く取れるのだから、何かの対策で練習するのではなく、もっと個人としてうまくなって結果としてその対策すべき何かをねじ伏せられる、そういう練習ができるようになっていくとよいのだろうと思うのですが、まあなかなか難しいですね…。

一方で、個人別で見るときは「だいたいそれっぽく聞こえるようにする」方法を教えたりはするのだが。矛盾してそうだけど、私としては「不安を解消する」ことが大事という立場。

そもそもOBが「指導」に行くという体制について

これは下書き書いてたときにはなかったのですが、高校生が「無料でレッスンします」っていうtweetをして界隈で軽く燃えたのに対する反応を込めて、書く必要がありそうってことで追記しました。

「指導」しに行く人間がアマチュアでは教えられることに限界がある、正しく習ってない人間が教えても害しかない、部活にOBOGが指導に行くのも「無料でレッスンします」といって燃えた高校生と大差ない、という主張について、私はある程度までは同意しますが、それは完全に理想化された世界でしか実現しない話なので、理想を押し付けても仕方がない、という主張です。師匠につくのが当たり前のプロや音大生もしくはハイアマチュアの世界観に生きていないのはニセモノ、とする主張はその世界観に生きている人間のポジショントークとしてはよくできていますが、入門者のまたぐ敷居を高くするだけで、自分の生きている世界観の通用する範囲を狭くする主張にほかなりません。部活動でやっている範囲では、それこそ文化資本の蓄積のある家庭環境でもない限りは「ホントウのクラシック音楽の世界」なんて知らない人のほうが大多数です。で、アマチュア音楽家である以上どちらの世界が上位ということはないハズで、現役の生徒がより強い力を望むならば指導に行く人間がその橋渡しをしてあげればいいだけです。現に私も後輩を何人かセンセ氏に紹介してますし。

一方で「指導」に行く立場の人間はその限界を自覚した振る舞いをするべき、というのは事実でしょう。卒業生が仕事として当たるプロとの違いで有利になる部分は、自分の所属した部がどういう雰囲気・やり方でやってきて、その良し悪しを知っていて、それを「ちょっとだけ」良くするための技術や知識を他のところで積んできた、ということです。その「ちょっとだけ」の範囲を超えることであればプロに任せればいいのです。逆を言えば、「ちょっとだけ」のお手伝い以上のことができると思って行くのは間違いでしょう。このへんは最初何年かの自分が道を踏み外してたところだなあと反省するところです。

あとは針の音楽団の主宰のゆっきーさんが書いてたこのへんのtweetが関連してそうなので引用します(最初のやつはリプライで続きが書いてある)。

(とりあえず私の出身校についていうならば)卒業生はこんなめんどくさいこと考えないでいいので練習見に行ってやってください。上で書いたように、そこまで圧倒的な貢献は求められていません。ただ、楽器を続けること、音楽を続けることの楽しさを「見せて」あげて、「ちょっとだけ」よくする手伝いをしてあげればいいのです。ついでに、高校生がよくやる範囲の曲の替え指くらいならメールもらえれば教えられるのでそのへんも安心して*2

*1:ここで「セクション」は木管楽器/金管楽器/弦楽器、「パート」は楽器の種類ごと、を指します

*2:一方で私が行ったときはだいたいフルートとクラリネットで「問題の箇所に替え指が存在することまでは知っててそれが具体的にどんな運指かわからない」みたいなことは何度かあった