そういえば「社会人」になってから1年経っていた

というわけで先日の記事の続き、予約投稿にて。4/2に書いています。

相変わらずこの表現は好きではないです。私みたくクソ学生してたならともかく、まともな大学院生のほうが会社員よりよっぽど社会人しているのではないかと思います。Twitterで大学の先生が学生のスライドの話をしているのを見るたびに「これ会社で同じこと言ったら死人が出るのでは…」という思いがします。そういえば私も今までご静聴スライド書いてましたが最近話題になってるの見てやめました。

ニコニコ動画を見たら上のニュース欄に「新社会人が初出社で遅刻、人事『来なくていい』」だとか「役員が新人研修でマジギレドッキリ」(文面は正確ではありません)だとか、新社会人を笑い者にして楽しんでいるかのような見出しが見えて、なんとも気味の悪い思いをしました。日本生産性本部の毎年発表する「新人のタイプ」もこれほど人を簡単に愚弄できるのかみたいな標語をつけてきますね。毎年こうやって新社会人を笑い者にしている人たちは、どれだけ新社会人の人よりも能力が高く人間的に素晴らしい人たちなのだろうか?そうであってもその行いが正当化されることはないですが…。

自己管理の甘さや我慢の不足が主要な原因で修士課程をドロップアウトしたトラウマからか、偉そうにしていながら私よりも自己管理のできていないように見える人、行動のろくに伴っていない人を見るたびに吐き気を催すわけです。幸いにして日常職場でそのような人に出くわすことは少ないですが。

社会はこんなに甘かったのか。家の人や親戚からも就活しているときから社会は甘くないとさんざん言われてきたが、本当はどうなのだろう。私の行いが気に食わないのならば、わざわざ社会を盾にする必要はなかったのでは?

さて、会社2年目となり、新人の前に環境設定の手伝いで立つことになったわけですが。今後何度か彼らの前に立つことになるようです。

そこで偉そうにしているだけでは、その薄っぺらさを看破されてしまうことでしょう。知的訓練に勤しみ、人間的にも鍛えられてきている人たちを前に、ドロップアウターが偉そうに吠えたところで彼らの目には明らかです。見せかけの力は通用しない。「昔の人」の言うように暴力を見せればついてくるわけではないでしょう。見本を示し続ける必要があります。それも前に立つ一時的なことではなく、継続して。

新人をただのリソースや駒として見る人たちは、彼らに「期待」しかしないことでしょう。安全地帯から見下ろすかのようにしかできないでしょう。

私は新社会人を面白がる人間どもに与してはいけない。彼らに「期待」しかしない人間どもに与してはいけない。模範を示し続ける必要がある。そうでなければ一瞬で遅れをとることになってしまうから。